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僕にとっての物理とは

物理について考えていることをまとめました。


物理には数式がたくさん登場し、それらを使って計算していると答えが出てくる。。。。 物理をこんな風に捉えている人は多いのではないかと思います。

でも、僕にとって物理とは、「よりよく生きるための道具」です。
突然、「よりよく生きる」なんて言われてもよく分からないと思うので、もう少し説明します。

僕たちは、連続的な世界に言葉(概念)という切れ目をいれ、それらの関係性として世界を記述し、
「自分はこんな世界に生きているんだ!」
と理解し、その理解に基づいて行動しています。

世界は連続であり、記述は不連続なので、そこには必然的にズレが生じます。
でも、そのズレをできるだけ小さくして、世界をよりよく記述したいと思っています。

数学は、物質間の関係性を記述するのに適した言葉なので、積極的に使います。
微積分は、「連続な世界」を「不連続な記述」で置き換えるときに活躍します。

このようにして、数学という言葉を使って、世界を解釈可能な記述へと写し取ってきたのです。
そうやってできた、世界を理解するための記述体系が物理なのです。

このように考えると、「よりよく生きるために物理がある」と書いた意味が分かっていただけたのではないかと思います。


次に、「物理は真実を語っているか?」という点についての僕の考えを書きたいと思います。

これは、Yesでもあり、Noでもあると思います。

「真実」かどうかを判断するためには、そのために基準をまず決めなくてはなりません。

物理は、「実験により再現可能であること」を、その基準として定め、記述体系を作り上げてきました。
ですから、現在の物理がその基準を満たしているという意味では、Yesです。

ただ、もし、人間の脳が、全く違ったものであったとしたら、物理も全く違ったものになっているはずだと僕は思うのです。

「物質が不変の法則に従って運動する因果律」で、世界を理解するというのは、僕たちの脳がそのように記述したほうが、理解しやすいということを意味しているように思います。

ですから、全く違ったクセを持った脳を持っていたとしたら、物理もその「クセ」に合わせたものになっているはずだと思います。
その意味で、物理の語る真実は、あくまでも限定付きの「真実」だと主張したいと思っています。

物理を人間(の脳)と世界とのインターフェースだと捉えてこそ、物理に必要以上のロマンを貼り付けることなく、等身大の物理を扱うことができるのだと思っています。

以上が、僕が物理と向かい合うときのスタンスです。

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